砂 山
海は荒海 向かうは佐渡よ
すずめ啼け啼け もう日はくれた
みんな呼べ呼べ お星さま出たぞ
暮れりゃ砂山 汐鳴りばかり
すずめちりぢり また風荒れる
みんなちりぢり もう誰も見えぬ
かへろかへろよ
すずめさよなら さよなら あした
海よさよなら さよなら あした
中山晋平 作曲
耕作百言
標題音楽と純音楽の區別、それは容易に分ち得べき性質
のものではないでせう。けれども大ざっぱにいへば、かう
も言へるだらうと思います。標題音楽といふのは言葉を以
て現はされたものからインスパイァされて、作曲された音
楽であるといふことを。その中には、言葉からインスパイ
ァされたものを、そのまま直訳的に音楽に現はしたもので
あるでせうし、あるひは又全然インスピレーションのみに
よって書き上げられたものもあるでせうし、なかにはドビ
ッスィーの「牧神の午後への前奏曲」のやうに、詩に対し
て書かれたものもあります。とにかく直訳的であると、乃
至意訳的であるとを問はず、先にいったやうに、言葉によ
って既に表現されたものにインスパイァされた音楽は、仮
令作曲者が標題をつけて置かないまでもその性質上当然標
題音楽とよばれるべきでせう。純音楽といふのは、他のも
のからインスパイァされないで、作曲者が自分の楽的感情
乃至楽的思想のみによって作ったものなのです。