黒崎 研堂 (黒崎馨 諱) 本名 与八郎
庄内藩家老酒井了明の三男として、鶴岡市馬場町に生まれる
藩校致道館に学び文武両道、特に書画・詩文・経学などをよくし
名利に動かされない立派な君子であった。書は当時日本随一
と称された日下部鳴鶴翁の来庄を機に師事、長足の進歩をした
遺墨、石碑が多く残されている。なかでも酒井忠篤公墓碑銘
孝子慶玉碑などは見事である。門下生から書家、学者の逸材
が輩出している。山形県書道の草分け的存在である。
山形県大百科事典より
鶴岡市で有名だった書家「松平穆堂」は黒崎研堂の弟子であった