チックリ虫 野口 雨情 作詞
とんぼ来い来い 釣瓶にとまれ
井戸の釣瓶は 日が永い
草にとまるな チックリ虫ゐるぞ
今朝も泣く子の 足刺した
耕筰百言
國々によってその國語の異る如く、國境を隔てた國と國とは
各々違った國の心を持ってゐる。仮令世界の國語がエスペラント
に統一せられたとしても、その新語の用法と、それを用いて表現
する心とは到底一つであり得ないであらう。
音樂は世界語であるといふものがある。樂理に統一せられた音樂
は、実際、世界の何れの國民にも通ずる言葉であるかも知れない。
が、その言葉を通して表現しようとする心は、必ずしも萬人に同じ
響きを與へるものでない。我々は洋樂の心を解し、自分の心をそれ
に觸れしめることは出来るけれども、我々の國民性があり、我々に
我々の個性がある限り、洋樂の心はそのまゝに自分の心であると言
いきることは出来ないであらう。恰度、文學者が在来の言葉を用ひ
て新しい熟語を造ったりするやうに、最も自由な感情の表象的表現
である音樂が、在来の洋樂り形式的踏襲の域から一歩を踏み出して
我々自身の心を物語る時が来なければ、我々の眞實の心の要求は
充されることがないであらう。私は目覺めた日本が、洋樂の外形に煩
はされることなしに、日本自身の心を静かに語り出る日の一日も早く
来らんことを祈り、且つ待ち望んでゐる。